先に結論―海外療養費は「移住後の通院」を賄う制度ではない

日本の公的医療保険には、海外で診療を受けたときに一部を払い戻す「海外療養費」という仕組みがあります。ただし制度の説明を読むと、想定されているのは海外旅行中や海外赴任中に急な病気やけがなどによりやむを得ず現地の医療機関で診療等を受けた場合です。移住して現地で暮らし、日常的に通院する場面を賄う設計にはなっていません。

実務上のハードルも3つあります。給付額は日本国内の治療費を基準に計算されること、審査に数か月かかること、そして払い戻しを海外に直接送金できないことです。順に見ていきます。

対象になるのは「日本で保険診療として認められている医療行為」だけ

海外療養費が健康保険の給付の対象となるのは、2つの要件を満たす場合だけです。1つめは、日本国内で保険診療として認められている医療行為であること。日本国内で保険適用となっていない医療行為や薬が使われた場合は対象外で、美容整形やインプラントが例として挙げられています。

2つめは、療養(治療)を目的で海外へ渡航し診療を受けた場合でないこと。ここには但し書きがあり、日本で実施できない診療(治療)を行った場合でも保険給付の対象とはならない、とされています。「日本では受けられない治療をタイで受ける」という発想は、この制度の外側です。

給付額は、日本国内の医療機関等で同じ傷病を治療した場合にかかる治療費を基準に計算した額(実際に海外で支払った額の方が低いときはその額)から、自己負担相当額を差し引いた額です。タイの私立病院は日本の感覚より高額になることがありますが、基準はあくまで日本の治療費です。差額は戻りません。

なお、海外療養費は健康保険の給付です。日本の公的医療保険の被保険者であることが前提になります。移住にあたって自分の資格がどうなるかは、加入先(協会けんぽ、健康保険組合、またはお住まいの市区町村の国民健康保険)に直接確認してください。ここは制度ではなく個々の資格の問題なので、このページでは断定しません。

申請の実務―書類は日本語訳が要る。タイ語の様式は用意されている

申請には、海外療養費支給申請書に加えて、診療内容明細書(医科は様式A、歯科は様式C)、領収明細書(様式B)、領収書の原本とその日本語訳、様式A(またはC)およびBの日本語訳、受診者の海外渡航期間が確認できる書類、同意書が必要です。翻訳文には翻訳者が署名し、住所および電話番号を明記します。

ここで移住者に効く事実が一つあります。診療内容明細書(様式A)と領収明細書(様式B)には、英語・韓国語・中国語・タイ語・ベトナム語・スペイン語・ポルトガル語の版が用意されています。現地の医師に記入してもらうとき、タイ語の様式を持参できます。ただし歯科の様式Cにタイ語版はありません(英語・韓国語・中国語・スペイン語・ポルトガル語)。歯科は英語版で依頼することになります。

渡航期間の確認書類は、パスポートのコピー(氏名・顔写真のページと当該期間の出入国スタンプのページ)、査証のコピー、航空チケットのコピー(eチケット控えを含む)のいずれかです。渡航期間が確認できる書類と同意書は申請の都度提出が必要で、添付もれが多いと注意書きがあります。

けがによる申請なら負傷原因届、第三者による傷病なら第三者行為による傷病届が追加で要ります。日本を離れてから揃えるのは骨が折れるので、受診したその場で領収書と明細を確保しておくことが実質的な備えになります。

払い戻しは海外に送金されない。受け取る人を日本側に決めておく

海外療養費の支給は、海外への直接送金ができません。事業主または日本在住のご家族に受け取りを委任してください、とされています。申請書の受取代理人の欄に記入する形です。

これは移住の設計に直結します。日本側に受け取りを頼める人がいない場合、制度上は申請できても、払い戻しを実際に受け取る手段がありません。日本の口座と、代理で受け取ってもらえる家族の存在を、移住前に確認しておく必要があります。

加えて、審査には通常数か月かかります。照会が入ればさらに延びます。手元の現金で立て替えられる範囲を超える医療費が発生したときに、この制度が資金繰りを助けてくれることは期待できません。

だから外務省は海外旅行保険を勧めている

外務省は、海外旅行保険に加入していなかったために、病気やケガに伴う治療や緊急移送などで多額の出費を余儀なくされたケースが多くある、として、十分な補償内容の海外旅行保険への加入を勧めています。ここまで見てきた海外療養費の制約を踏まえると、この助言の意味がはっきりします。日本の公的保険は、現地で発生する医療費の立て替えにも緊急移送にも間に合いません。

保険をどう掛けるかは滞在期間と年齢で選択肢が変わるため、このページでは特定の商品を挙げません。比較の観点だけ書いておくと、確認すべきは治療費の上限額、既往症の扱い、緊急移送(メディカルエバキュエーション)が付いているか、そして滞在期間をカバーできるか、です。

現地の医療情報は、渡航前に外務省と検疫所で確認する

タイ国内の衛生・医療事情については、外務省が「世界の医療事情」で案内しており、渡航前には必ず見るよう求めています。必要な予防接種等は厚生労働省検疫所のホームページ(FORTH)で確認できます。主な病院については、在タイ日本国大使館および在チェンマイ日本国総領事館が在留邦人向けに作成した「安全の手引き」に記載があります。

気候も体調に関わります。タイ国土の大部分は熱帯モンスーン気候で、雨季と乾季に大きく分かれ、3月から5月頃は一年中で最も暑く高温多湿です。外務省は、身体的にも精神的にも疲れがたまりやすいとして、十分な休養と睡眠を取るよう案内しています。持病がある方は、この気候の下での通院頻度を織り込んで考えてください。

緊急時の番号は控えておいてください。バンコク・チェンマイとも警察は191(救急車の要請も可能)、消防署は199です。観光警察1155はバンコクで日本語・英語が通じ、チェンマイでは英語のほか日本人ボランティアがいます。在タイ日本国大使館は02-696-3000(代表)です。

生活費全体の中で医療費をどう見込むかは、タイの生活費をどう見るかにまとめています。年金の受け取りと税の扱いは年金は海外でも受け取れるか、日本側の手続き全体は海外転出届を出す前にです。

よくある質問

タイで病院にかかったら、日本の健康保険は使えますか?

窓口でそのまま使うことはできません。いったん現地で全額を払い、後から「海外療養費」として一部の払い戻しを申請する形です。制度の説明でも、対象は海外旅行中や海外赴任中に急な病気やけがなどによりやむを得ず現地の医療機関で診療等を受けた場合とされています。

海外療養費は、いくら戻ってきますか?

日本国内の医療機関等で同じ傷病を治療した場合にかかる治療費を基準に計算した額(実際に海外で支払った額の方が低いときはその額)から、自己負担相当額を差し引いた額です。現地で払った額がそのまま基準になるわけではありません。タイの私立病院で高額を払っても、戻るのは日本の治療費を基準にした計算額までです。

海外療養費の対象にならないのは、どんな場合ですか?

2つあります。1つは、日本国内で保険診療として認められていない医療行為や薬が使われた場合です。美容整形やインプラントなどが例に挙げられています。もう1つは、療養(治療)を目的で海外へ渡航して診療を受けた場合です。日本で実施できない診療を行った場合でも対象になりません。

払い戻しは、タイの口座に振り込んでもらえますか?

できません。海外療養費の支給は海外への直接送金ができないため、事業主または日本在住の家族に受け取りを委任します(療養費支給申請書の受取代理人の欄に記入します)。日本側に受け取れる人がいないと、実質的に受け取れません。

申請にはどれくらい時間がかかりますか?

審査には通常、数か月かかります。被保険者や医療機関等に照会が入ることもあります。立て替えた分がすぐ戻る前提で資金繰りを組まないでください。

海外療養費の給付対象2要件、給付額の計算基準、審査に数か月かかること、海外への直接送金ができず受取代理人が必要なこと、申請書類と各国語の様式(様式A・Bにタイ語版があり様式Cには無いこと)、渡航期間の確認書類は全国健康保険協会「海外療養費」で確認しました。海外旅行保険の加入の勧め、タイの気候と健康管理上の留意点、世界の医療事情および検疫所への案内、緊急時の連絡先は外務省 海外安全ホームページ「タイ 安全対策基礎データ」で確認しました。健康保険の資格が移住によってどうなるかは、国の公的資料で一律に確認できないため断定していません。

出典・参考リンク

全国健康保険協会(協会けんぽ) 海外療養費
厚生労働省 療養費について
厚生労働省 医療保険
外務省 海外安全ホームページ タイ 安全対策基礎データ

確認日: 2026年8月11日

給付の要件・申請書類・様式の言語は変更されることがあります。申請の前に、加入している健康保険の保険者(協会けんぽ、健康保険組合、市区町村の国民健康保険)で最新の内容をご確認ください。